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●だいぶ遡った話になってしまいますが、結成の経緯から教えて下さい。
下條スープレックホールド(Vox)「1996年に、大学の同級生4名で結成しましたね。キッカケは……ただの遊び?」
リョウジン666(B)「思い出作り?(笑)」
下條「で、はじめました(笑)」
●軽いキッカケだったんですね!
下條「そうですね。ちょうど大学を卒業した時に結成しまして、身内だけの卒業パーティみたいな感じのところでライヴをして。沖縄だと、社会人になるとですね、エイサーをやるか草野球をやるかっていうのが主流でして、当時は」
●二択なんですね(笑)。
下條「だいたい。でも、僕らはそこと違うことをやろうかっていう考えはありましたね。要するに、社会人になっても趣味がある、みたいな」
●音楽性は、現在の片鱗はあったんでしょうか。
下條「あるよね?」
リョウジン「そうだね。一番最初に作った曲が、今作(『地獄門』)にも入っています」
下條「『ルチャバカ野郎』っていう曲なんですけど、これ、実はですね、僕が最初にアイディアを持って来まして、その時に聴いていたあぶらだこの『クリスタル・ナハト』みたいな曲を作りたくて……聴き比べると全くオマージュしてる要素がないくらいになってしまったんですけど。それと、プロレスが好きだから、そこも合わせてしまえって。バンドをやるのは地獄車が初めてだったんで、手探り状態でしたね」
LARRY「結果的に『クリスタル・ナハト』とは全く違うよね(笑)」
下條「そうですね(苦笑)。また、それをメンバー3人に伝えたんですけど、僕が考えていたものと全く違うものが出来上がってきたんですね。でも、僕は楽器が出来ないし、こんなんでいいよって」
●(笑)。当時のメンバーは?
下條「僕とリョウジンは変わっていないですね」
●じゃあ、大学の時から一緒なんですね。
下條「そうですね。予備校時代からです。リョウジンはずっとバンドをやってまして、僕はリョウジンのバンドの追っ掛けをしていました……ま、追っ掛けという名の、チケットを買わされる役っていう」
●(笑)。リョウジンさんは経験者だったんですね。
リョウジン「はい。僕は高校生の頃からバンドをやっていたんですけど、あまり勉強していなかったんで予備校に入って、そこで下條と会って、音楽の話で意気投合したっていう。それから大学に入るんですけど、すぐにはバンドをやらずに温め続けて4年後に結成したんです」
●下條さんは、初めてバンドをやるからこそ、斬新な発想が生まれたのかもしれないですね。 (↗)
下條「そうかもしれません。プロレスをネタに歌ったら、良いんじゃないかと思って」
●そもそもバンド名も格闘技からきているわけで。
下條「そうですね。梶原一騎のマンガが凄く好きで、マンガ喫茶で友達と競い合うように読み漁っていたので、そこからバンド名も取ろうってなって。最初は『男の星座』にしようかと思ったんですけど、モロ過ぎて、ひょっとしたら梶原先生の関係者からお叱りをうけるんじゃないかと。そうしたら、友達が『柔道一直線』を読んでいて。僕は『巨人の星』を対面で読んでいて、それじゃ野球になるから格闘技に戻ってこいってなって、じゃあ(『柔道一直線』に出てくる)地獄車にしようやって」
●音楽的には、どんなバンドに憧れていたんですか?
下條「僕はぶっちゃけヌンチャクでした。あとはもちろん、ガーリックボーイズ。英語で歌いたかったんですけど、英語が出来ないから日本語だっていう感じで。面白い日本語を追求していきたいっていうのもありましたんで」
●そこはガーリックが先駆者ですもんね。
下條「そうですよね。当時のバンドのメンバーと、多分『GARLICHOLIC』を聴きながらドライブしたのを覚えてますね。ぶっちゃけると、LARRYさんには怒られるかもしれないんですけど、こんな日本語の歌詞でもいいんだなって」
LARRY「(笑)。勇気付けた? 良かったね」
下條「タイトルとかも、こんなんでいいんだ!って」
LARRY「それで地獄車が生まれて良かったよ(笑)」
下條「ありがとうございます(笑)」
●心が広い(笑)。でも、LARRYさんが率いていたロッテンオレンジからリリースできるとは……。
下條「いやいや、夢にも思っていないですよ!」
●その布石として、だんだん、ツアーで沖縄に来るバンドをサポートするようになりますよね。
下條「ライヴハウスのブッキングですよ、全て。地元でライヴやってて、そうしたらだんだんいろんなライヴハウスの人から、いついつライヴ出ないかって誘われるようになって、その中で県外からバンドが来るけど前座しないかっていう話も来るようになったっていう」
●最初の目的だった、思い出作りでは終わらなかったんですね。
下條「最初のライヴがしょぼかったんですよ。リョウジンが無茶振りして、飛び入りでライヴしたんですけど、思いっきり反応が少なくてですね、そのリベンジを果たしたいがためにライヴを続けたっていうところはありましたね。凄くみんな冷めた目で見ていたんですよ。それが悔しくてですね、次のライヴは絶対に盛り上げてやろうって」
●最初から満足していたら続かなかったかもしれないですね。
下條「ああ、それはありますね」
●当時の沖縄シーンは、どんな感じだったんですか?
リョウジン「あんまりハードな音を出しているバンドが、90年代の頭はいなかったっていうか。いたんですけど、県外のバンドと絡むような活動をしていなくて。僕らはフットワーク軽かったんで、どんどん誘われるようになっていったんですよね。ハードコアブームみたいなものがあったじゃないですか。そういう音を好きな人がやっているバンドが少なかったんです」
下條「あと、マサは、当時は僕らと絡んではいなかったんですけど、重い音のバンドをやっていたんですよね」
マサ一撃(G)「僕がやらなくなったら地獄車が台頭してきて」
下條「下地はマサの方が作っていたのかな」
●そんな中で、ガーリックとも出会うんですよね。
下條「そうです。地元のイベンターの方がヌンチャクの解散ライヴをブッキングして、ガーリックボーイズも一緒に来るよ、僕らも出ないかって。もちろん喜んでやらせて下さいって言って、それが最初ですね」
●初対面の時に、ガーリックを聴いていたとか、ロッテンからリリースしたいとか、アプローチはしたんですか?
下條「ライヴの打ち上げでデモテープをLARRYさんに渡しましたね。隣が空いていたんで、飲みながら、これ聴いて下さいって。でも、リリースしたいとかはなかったよな」
リョウジン「仲良くなりたいなあ、みたいな」
下條「ファン的な感じです」
●LARRYさんから見て、当時の印象は?
LARRY「ユルかったよね、とにかく。今と同じ曲はやってましたけど、メンバーは違ったし、リョウジンもドラムをやっていたんで、4ピースは4ピースやけど、今みたいなゴリゴリじゃなかったですね。ライヴを一緒にやりたいと思ったのは、何回か沖縄に行ってからじゃないですかね」
●じゃあ、リリースを考えたのも、もっと先のことですか。
LARRY「本人たちも、そんな感じじゃなかったんじゃないですか? 温度がそこまで……ベースとギターの子も、大学で沖縄に行っているんで、卒業したら帰るとか、そういう話をしていたんで。でも、行くたんびに気合いが入っていく感じがしたんで。汁が出まくっていたよね(笑)。で、ヤられました」
●実際に熱が上がっていったんですか?
下條「そうです。欲が出て来ました。下心が(笑)」(↗)
リョウジン「僕、最初はドラムだったんですよ。でも、県外のバンドさんとライヴをすると、実力の差を思い知らされるんですよね。ライヴはちゃんとやりたいんで、ちゃんとドラム叩ける人を入れようって思うようになっていきました」
下條「元々リョウジンはベースだったんですよ。何故地獄車ではドラムだったかっていうと、ドラムをやったことないからっていう」
リョウジン「周りにハードコアが好きな人がいなかったし、自分はバンドをやりたいので、手っ取り早くドラムをはじめて。ガーリックを見た時も、演奏が凄くタイトで、こうなりたいっていうのはありましたよ」
下條「当時のベースとギターには悪いけど、大学を卒業するし就職もするから、もう辞めるって言われていたんで、でも僕らは続けたいから、リョウジンはベースになって、ギターとドラムをちゃんとした人を入れようと。それまでぶっちゃけ僕らは素人だったんで。リョウジンは経験者だけどドラムは素人、僕もベースもギターも素人だから、経験者に声を掛けて、売れ線を狙っていこうと(笑)」
●そういう努力を積み重ねて、ロッテンからリリースが決まったんですね。
下條「そうです」
●どんな心境だったんですか?
下條「いやもう、信じられなかったですね。嬉しかったです」
●LARRYさんから見て、リリースの決め手は?
LARRY「音楽的に番外地的なところがあるじゃないですか。住所を与えられていない的な。うちらもそうだったんで、シンパシーを感じたのかな。ロッテンオレンジは、そういうバンドが集まってきてくれたら面白いとは思っていたんで、ここにもいた!って。そこに、さっき言ったように温度も兼ね備えてきたので」
●そこから、全国区で知られていくわけですね。
下條「そうですね。初めて僕らが県外に行ったツアーも、ガーリックボーイズに誘われてでしたし。ノウハウもなかったんですけど、ありがたいことに声を掛けて頂いて。その前に一本だけ、福岡でやらせてもらったことがあったんですけど、続かなかったんですよね」
●そうしているうちに、だんだん沖縄シーンが盛り上がりだすっていう。
下條「いつの間にか盛り上がっていった感じがしましたよ。だんだんハコがいっぱいになっていって、県外からバンドも来るようになって」
リョウジン「アルバムを作る前に、LARRYさんにも渡したデモテープを作ったんですけど、その売れ行きがわりと良かったんですよね」
下條「そうそう。当時ね、ダブルカセットでダビングしていて、100本作った? それがすぐになくなったんですよ。1、2ヶ月持つかと思っていたんですけど、またダビングするのか、って」
●いろんなバンドが県外から来るようになったところも、大きいんですかね。
下條「それも大きいでしょうね。今ほど情報がなかった時代なので、県外からバンドが来ることもなかなかなかったのに、雑誌でしか見たことがなかった方々が、頻繁に来てくれて沖縄も活気づいたと思います。大袈裟に言うと、海外からバンドが来たみたいな感じはあったと思いますよ」
●ロッテンからリリースした後の、ツアーでの各地のリアクションは、どうだったんでしょうか。
下條「行くまで怖かったんですよね。初めて知らない土地でライヴして、アウェイはどんな感じだろうかって。でも、僕らのことを凄く知ってくれていたし、アルバムを買ってくれていたし、それに感動して。感謝の気持ちでライヴをしましたね。ライヴハウスの前で話しかけられたりして、僕らを知ってるんですか!?って」
●アルバムを出すことのパワーに気付いたり、自信がついたところもあったんじゃないですか?
下條「自信もついたけれど、もっと出来るなっていう反省点もいっぱいありましたよ」
●それが2枚目に反映された?
下條「いや、全く反映されませんでしたけど(苦笑)。思いと実力がついていかないんですよね」
●でも、“沖縄に地獄車あり”みたいな存在感は轟いていましたよ。
下條「ああ、そうですけど、不思議な感覚でしたよ。嘘のような本当の話が続きましたね」
●でも、そうこうしているうちに、休止期間に突入してしまうじゃないですか。
下條「恥ずかしい話、僕の経済的な理由ですね。当時も変わらないですけど、僕はダメな大人なので、散財しまくってですね、バンドと言うよりも仕事をしなきゃいけないっていう、ホームレスの一歩手前になってしまいまして。そこで急いで入った就職先が、今で言うブラック企業みたいなところで、休みが取れなくなったんですよね」
●休止宣言みたいなことって、しましたっけ?
下條「いや、後手後手です。すいません、僕ら、こんな連中なんですよ。目先のことでいっぱいいっぱいで」
●また、休止期間が長かったですよね。
下條「いや、でもその後にヴォーカルを変えて活動はしていたんですよね」
マサ「そうやってバンドを続ける道を模索したんですけど、やっぱり上手く行かなくて、一旦棚上げしようっていうことになって。それから3年くらいやらなかったんだよね。でも、私は私で別のメタルのバンドも未だにやっているんですけど、そのバンドが音源を全国リリースすることになって、結構上手く行って、自分が今そうなれたのは地獄車があったからだって再認識しまして、その地獄車が宙ぶらりんなのはよくないと思って、けじめを付けたいなって思って、下條に連絡して、いっぺん再結成ライヴをしてみようよっていうことを言ったのが2005年か2006年ですね」(↗)
下條「僕もタイミングよく仕事が変わりまして、ゆとりが出来て、またバンドやりたいなあって思っていたんですよね。その頃に、たまたま僕がロマンポルシェ。を沖縄で見ていて、掟ポルシェがマサと似てると思ったんです」
全員「(笑)」
下條「そこでロマンポルシェ。の打ち上げで飲んでいた時に、夜中の3時か4時にマサから電話が来て、うわ!って。そうしたら酔っ払った声で『再結成しようか』って。こんな偶然ってあるんだなって、即答しましたね、『やろうやろう! 実はお前とそっくりな人と飲んでいるんだよ! ちょうどお前のことを考えていたんだ!』って」
●そんな偶然が(笑)。でも、何年も下條さんはバンドをやっていなかったわけじゃないですか。
下條「やっていなかったですね」
●復帰に対して不安はなかったんですか?
下條「もう出来ないかなあとは思っていました。でも、やってみなきゃわからんしって。再結成ライヴに向けて練習したら、全然出来ませんでしたね。歌詞も忘れてるし。メンバーも演奏どんなだったっけって、CDを聴いてから練習したりして。そして不安は的中しましたね、復活ライヴで。俺は終わった後で凄く落ち込んで。それ一回で終わるつもりだったんですけど……」
マサ「盛り上がっちゃったんですよね」
下條「お客さんが」
●待ってました感はあったんじゃないんですか?
下條「ありがたいことに。僕の中ではそれとは別に、リベンジがしたかったんですよ。ライヴが全然ダメだったから、あと一回やればカッコつくと思って。それが2回目のライヴは、客のノリが冷たかったんですよ! 凄く練習して良いライヴが出来たのに、気温差が激しくてですね、僕、MCで怒ったよね。その気持ちで3回目をやったよね。一回目盛り上げて、二回目落としたんだったら、三回目もしつこくやるからな!って。それが再結成のモチベーションになりました」
●どっかが納得いかなくて続けていくうちに、面白くなっていったというか。
下條「そうです。僕ら、行きあたりばったりですけどね」
●復活の報告は、LARRYさんにはしたんですか?
LARRY「リョウジンとは節目節目で会っていたんですよ。マサもそうやけど、地獄車が止まっていても、二人ともバンドはやっていたんで。再結成っていうのも、わりとこっちは自然な感じがしました」
下條「今思い出したけど、復活した時のイベントに、イエローマシンガンが出たことも、キッカケになりましたね」
マサ「そうそう。打ち上げでイエマシの姉さんたちに、あなたたち続けなさいよ!って言われて」
下條「美川憲一みたいに?(笑)」
●そうやって周りの方々の後押しもあって、再び動きだしたところもあるでしょうね。
下條「そうですね」
Photo by 中嶋環
Interview by 高橋美穂
Vol.02 へ続く